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当山は今から一千二百年程前、弘法大師が大同三年(八〇八)六月唐に留学され、帰朝後勅命を受け、泉州槙尾山に修行道場を求め巡錫の途次、この地にて昼食をお摂りになられたところです。



ご本尊弘法大師(厄除け柚子みそ大師)

昼食をしておられますと、そのご高名を伝え聞いておりました村人達が集まり来たりまして、「この地は今、疫病がはやり、多くの者が死の病に苦しんでおります。この苦しみからお救い下さい。」と、村人がお願いしましたところ、お大師さまは即座に席を改められまして、壇を築かれ、この地の疫病が一日も早く治まりますよう、お祈りされました。


お祈りされました後、お大師さまが村人を集めてお話されましたのは、先ず第一にきれいな飲み水の確保、井戸に汚水が入り込まないために排水路の設置など衛生的な面を指導されると共に冬至に柚子と味噌で柚子味噌をつくり、それを食することによって身体が健康になり、かかる疫病にかかって苦しむことは無いと教えられたのです。


お大師さまが立ち去られて後、暫くして猛威をふるっておりました疫病も治まり、人々の間に春が戻ってまいりました。戻ってまいりました春を心から喜ぶと共に、その春をもたらしていただいたお大師さまを讃え、ご祈願されました跡地を聖地とし、人々が祈り続けておりましたところ、その場所より一本の樟(くすのき)が芽を出し年と共に大きくなり、枝が四本に分かれ、その四本の枝は丁度釣瓶を釣り下げたように生い茂ったのです。


このお大師さま縁の樟から、いつのまにかこの地の地名は「四釣樟(よつるくすのき)」と呼ばれ、時を経ると共に「與津」「與通」と呼ばれるようになり、このお大師さま縁の樟は希代の霊木として人々に信仰されました。
この霊木で大師像を造りご本尊としてお迎えして、創建されましたのが享保七年(一七二二)のことです。以後、「與通(よつ)のお大師さん」、「厄除け大師」として人々の信仰を仰ぐようになりました。


お大師さまがお教えになりました「柚子味噌」の製法は当寺に伝わり、今も尚、その製法を受け継ぎ、柚子味噌を造り、十二月二十一日(終い弘法)に参拝の方々に、お供物としてお渡し致しております。


高野山真言宗 準別格本山
盛松寺 代表役員 高 橋 成 明